「株式会社日比谷花壇」★母の日・その起源&赤いカーネーション由来★一人の女性の行動・アメリカ全土に広まった

こんばんは。
今日は「「株式会社日比谷花壇」★母の日・その起源&赤いカーネーション由来★一人の女性の行動・アメリカ全土に広まった」の事をお伝えしたいと思います。

今年も母の日が近づいてきました。いつも苦労や迷惑をかけている母親に、感謝の気持ちを示す絶好の機会ですよね。そういえば、この「母の日」はいったいいつはじまったのでしょうか。また、「母の日」には「赤いカーネーション」がつきものですが、特別な決まりでもあるのでしょうか。気になったので、「株式会社日比谷花壇」の広報室に問い合わせてみました。

★「一人の女性の行動が、アメリカ全土に広まった

まず、「母の日」がいつ頃からはじまったのかを聞きました。

母の日の起源には諸説あります。{20世紀}初頭、{アメリカ、ウェストバージニア州}で、{アンナ・ジャービスさん}という女性が、亡き母を追悼する会を教会で行いました。その際、{カーネーション}を参加者に配ったのが起源といわれています。その後、{1910年}に{ウェストバージニア州}で「母の日」が祝日に認定され、やがて{アメリカ全土}に広まっていきました。その{4年後}の{1914年、正式に5月の第2日曜日}が「母の日」として制定されました」{日比谷花壇




約一世紀前」の「アメリカ」が発祥という説が有力らしのです。また「カーネーション」を配る風習も同時に誕生したようです。

★「日本では広まったのは明治末期頃から

では、日本にはいつ伝わり、どうやって広まっていったのでしょう。

日本ではじめて「母の日」の{イベント}が登場するのは、{明治末期頃、教会}で行われた{イベント}とされています。青山学院の源流となった海岸女学校で{第3代校長}を務めた{メアリー・J・ホルブルック}という宣教師が、{アメリカ}で祝われるようになった「母の日」を、日本でも広めようとしていました。その後、彼女の遺志を受け継いだ青山女学院の講師、{マイラ・E・ドレーパー}によって{1913年}に行われたのが、日本最初の「母の日」の行事とされています」{日比谷花壇

その後も、「キリスト教会」を中心に、各界の超名人などに働きかけて広まっていったとのことです。これも、「アンナさん」のお母さんが敬虔な「クリスチャン」だったこともあってのことなのでしょう。




★「多彩なカーネーションの花言葉

母の日のカーネーション」は、発祥の集会で配られたことに由来するということはわかったが、なぜ、その中でも赤い色が選ばれたのでしょう。

それは、カーネーションの花言葉によるところが大きいです。{カーネーション}は、{赤やピンク}だけでなく、{オレンジやイエロー、グリーン}など、豊富な{カラーバリエーション}があります。他にも、花びらの縁に別の色が入ったものや、{レインボーカーネーション}と呼ばれる虹色の{カーネーション}もあります。その{カーネーション}の花言葉ですが、赤には「母への愛」「母の愛」「純粋な愛」「真実の愛」という意味があります。ちなみに白は「尊敬」「私の愛情は生きている」、{ピンク}は「感謝」「気品」「温かい心」「美しい仕草」、{オレンジ}は「熱烈な愛」「純粋な愛」、紫は「誇り」「気品」です。幸せを願う青い花として最近注目されている「ムーンダスト」の花言葉は「永遠の幸福」となっています」{日比谷花壇

なるほど、「カーネーション」は色によって異なる花言葉があったようです。花に思いを託すとしたら母親に贈る「カーネーション」は赤で決まりということのようです。

それにしても「カーネーション」の色の多さとそれぞれの花言葉の多彩さには感心するばかりです。「母の日」に限らず、花を贈る際にはぜひ参考にしたいものですよね。

母の日」の「起源&赤いカーネーション」の由来など詳しくしる方はそんなにいないでしょうね。詳しく知れば知るほどお母さんへの感謝の気持ちが倍増しますよね。





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